「あれ?俺、この1週間そこまでどもってないな」
そんな気づきが、“克服”という言葉を初めて浮かばせました。
自己紹介で名前が出ない。言葉を瞬時に言い換える癖が無意識に染みつく。――吃音は、日常のあらゆる場面で“考えるより先に反応してしまう”ものだとやまさんは語ります。
それでも彼は、社会の中で働き、他者に言葉を届け、そして今「吃音があることで、自分は寛容になれているのかも」と振り返ります。
“まだ吃音克服(仮)”という段階だからこそ語れる、リアルな実感。今回は、吃音とともに30年以上歩んできたやまさんに、率直な今の気持ちをうかがいました。
自己紹介

お名前や年齢、職業を教えてください。
名前(ニックネーム)は、やまです。年齢は30代半ばです。
職業は会社員で、化学メーカーの製造をしています。
趣味や好きなことを教えてください。
登山、筋トレ、テニス、映画など…体を動かすのが昔から好きですね。学生の時も今の会社でもテニス部に入っています。
初めての登山は24歳、当時の会社の先輩に「富士山登らないか?」と誘っていただいて、登山いいな、楽しいなって。そこからハマりました。
コロナが明けてからは行きやすくなったので、長期連休はよく海外旅行をしています。
おすすめはカナダです。自然の雄大さが日本にはちょっとないようなスケールで。似たような景色は他にもあるかもしれないですが、観光バスで何時間も走っても山並みが続くんです。
吃音歴について

吃音はいつごろからありますか?
多分物心ついたときからで、自分が認識したのは小学1年生くらいですね。
自覚のきっかけは忘れちゃいましたが、親が心配して言ってくれたり、小学3年生の時にことばときこえの教室にも一時期つれていってもらってました。
親御さんは心配していましたか?
そうですね、小学生以降も要所要所で心配していました。
僕が学校生活で辛くて泣いちゃった時に、一緒に涙を流してくれている時もありましたね。
でも、本人以外にはどうしようもできない問題なので。
親戚に吃音の人はいますか?また他の当事者に会った年齢は?
会ったことはないですが、母親のおじさんが吃音当事者かもしれません。
母親が子供の頃に「この人つっかかってるのかな」と思っていたらしいんですけど、僕が生まれて症状が出てから「そういえばおじさんもどもってたな」って。
僕が他の吃音当事者に初めて会ったのは、19歳の時です。
当時2ちゃんねるの掲示板を自分で調べていたら、吃音オフ会があってそれに参加しました。
他の当事者に会うことに抵抗はなく、むしろ早く会いたかったですね。
中学生の時はどうでしたか?
中学生の時が、吃音で一番悩んでいたかもしれないです。
一つ強烈に覚えている出来事がありました。
中学2年の社会科見学の一環で、工場に行く機会があって、生徒から働いている方々にインタビューするのですが、その時言葉が出なさすぎて泣いちゃったんです。
それまでの中学校生活では、気づいていた人は気づいていたんでしょうけど、普段の日常会話や学校生活ではなんとか誤魔化していたんで。
そのインタビューの時、難発(なんぱつ)で言葉がでなくて、どうしようもなくて。
言葉が出ない時、とっさに隠したり工夫はしていますか?
咄嗟にというかもう無意識で。いちいち言い換えしようなんて多分思ってないです。
小さい時からですね、言い換えすることがもう当たり前なので。
でも言い換えすることで「ちょっと負けたな」というか、そう思うことも最近あります。
吃音の苦労と克服

吃音で今までで一番困ったことを教えてください。
吃音で困ったことは「自己紹介で名前をいう時」ですね。苗字の頭文字が全然出てこないので。
名前を言う時は明確に工夫をしています。枕詞をつけたり、本当にゆっくり喋るというのをやると出しやすいです。
今でも自己紹介の機会はありますが、今は毎回心に負担はかかってもちょこっとです。
心の負担が減った理由としてどんな変化があったのでしょうか?
実はですね、本当に6月入ったばかりくらいですが、今まで生きてきて突然なんですけど、「あれ、自分吃音克服したかもしれない」って思って。
それが自分の中でわかった瞬間、気持ちが楽になったし、実際どもりも格段に減ったんです。
まだ吃音は出ますが、でるんですけど以前と比べたら結構症状がでなくなってきて。なんというか、精神的に以前より余裕なんです。
吃音で深く悩むことも今はないですね。本当にここ3、4週間なんですけど。「あれ、克服したな」ってピカっ!てなって。
吃音を克服したかもしれないと思ったきっかけや理由はありますか?
理由となる出来事がありました。僕は会社のテニス部に入っているんですけど、新入社員の方が新しく入ってきて、自分たち先輩が今日の練習メニューを伝えるんです。
練習メニューは大体試合なんですが、たまたま隣にいた新人の方が「私ちょっと全然上手じゃないんで、試合になってしまうとラリーも続かないですし、ご迷惑かけちゃうんで…」と言ってて。
その時に僕が「全然大丈夫だよ、練習だし、ラリーが続かないからって迷惑なことは全然ないから気にしないで試合をやろうよ」って言ったんです。
その時吃音が出ないようにすごいゆっくり喋ったら、一言も吃音が出なくてすごいいい感じに喋れたんですよ。
しかも僕の気持ちも結構100%伝わってくれて、「ありがとうございます」って何度も感謝されて。「ああ、なんか伝わってよかったな」って思って。
今思うと相手からのフィードバックもあったからか、そのひとときがすごい良くて。
それから普通に1週間が過ぎていったんですけど、「あれ?俺、この1週間どもってないな」って気づいて、「吃音克服したかもしれない」ってXでツイートしました。
吃音の克服とはやまさんにとってどんな定義ですか?
僕もこの1ヶ月間すごい考えてるんですけど。定義でいうと吃音がゼロになったってことではなくて、「克服=吃音の症状がゼロ」と定義づけはしてないです。
僕自身もまだ答えを探し続けている状況なんですけど、「自分が克服できたと感じたならば、それが克服」みたいな感じですかね。
でもやっぱりそれには「吃音の症状の低減」は結構重要だなと思っていて。僕もここ1、2年で昔に比べたら吃音の症状が減ってきていたので、前提条件としては吃音の低減はもちろんあると思います。
ちなみにまだ吃音の克服(仮)です。まだ探っている状況です。
吃音がもたらしたもの

吃音だから感じられたポジティブな経験はありますか?
正直言って、ないですね。そこまでポジティブに考えられないというか。
確かに吃音で当事者会に行って楽しい友達たちに出会いましたけど、それって別に吃音じゃなかったら普通にどっかの運動サークルとかに所属して友達はできていると思うので、そこはイーブンですね。
でもないとは言ったんですけど、強いて述べるなら一つあります。
僕は吃音のことを障害だと思ってるんですけど、ざっくりいうと多分自分に吃音があることで「優しくなれている」のかなって思いますね。
自分に障害があるから、他の障害者に対しても理解をしようとしますし、一番のいいところは「寛容」ですかね。
吃音があったから寛容になれたということでしょうか?
この吃音によって、物事に対して寛容になれたきがします。どんなに努力しても吃音って治すことが難しいじゃないですか。世の中にはどうすることもできないこともあるってことが、自分自身の吃音を通じて学べたので。
多分僕なんでも人並みくらいにはできると思うんです。わかんないですけど、僕がこう自分で思ってるだけかもしれないですけど。
これでもし僕に吃音がなかったら、自分ができちゃうから他人に対してなんでできないの?って思うと思うんですよね。
例えば、サッカーのドリブルが試合中でなくても出来ない子がいて、「敵がいない状態なら、ただボールを前に蹴っていくだけじゃん」って。もし吃音がない僕なら、言っていると思います。
自分でも悪いところだと思ってるんですけど、なんでできないの?ってなっちゃいますね。
だから僕が吃音者じゃなかったら、吃音者に対して「え、名前言うだけじゃん」みたいな。言ってたかもしれないです。
そう言う意味では、吃音があることで「寛容」になれたのかなと思います。
インタビュー担当:きりん「自分が克服できたと感じたならば、それが克服」この一言が刺さります。
やまさんがそう語るまでには、無意識の言い換えや、名前が言えないもどかしさといった、日々の積み重ねがあったことでしょう。
それでも今、「伝わった」「感謝された」と感じられる瞬間を通して、自分自身を少しずつ受け入れていく姿に、静かな強さを感じます。
克服のかたちは人それぞれでいいのだと、優しく背中を押してもらえるようなインタビューでした!









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