「学校よりも社会の方が優しい」 転職・国際結婚を経て吃音当事者のまるさんが今思うこと

吃音当事者のまるさんは、学校や病院などの設計に携わる建築関係の仕事をしている。

保育園で声が出なかった記憶、小学校での音読や発表、高校で理解者の少ない環境に置かれたこと。

当事者として過ごしてきた時間のなかには、言葉にしづらい戸惑いや、自分一人でなんとかしようとする場面がいくつもあった。

一方で、大学での経験や仕事、人との出会いを通して、まるさんの見え方は少しずつ変わっていく。

吃音をやり過ごすことばかりに力を使ってきたと話す彼女は、いま何を大切にしているのか。

その歩みをたどった。

インタビュー動画はこちら➤「学校より社会の方が優しい」転職・国際結婚を経て29歳の吃音当事者が”今思うこと”ー

目次

「声が出ない」と覚えている、いちばん古い記憶

保育園で残った「なんで話さないの」の記憶

まるさんが「声が出ない」とはっきり覚えている最初の記憶は、保育園のころのことだ。

先生に話しかける用事があったのに、声が出なかった。

そのとき、「なんで話さないの」と怒られたことが、いまも残っているという。

まだ「吃音」という言葉を知らなかった時期だった。

それでも、自分のなかで何かが起きている感覚だけはあった。

言いたいのに言えない。その感覚が、最初の記憶として残っている。

小学校で増えていった、音読や発表のしんどさ

小学校に入ると、困る場面は少しずつ増えていった。

音読、点呼の「はい」、授業中の発表。

みんなの前で言葉を出す場面が、いつも簡単だったわけではない。

小学1年生のときには、「朝顔」と言いたかったのに言えなかった記憶があるという。

話したいことは頭に浮かんでいるのに、言葉にならない。

そうしたことが重なるなかで、まるさんは自分が「話さない人・面白くない人」のように見られてしまうもどかしさも感じていた。

吃音という言葉自体を知ったのは、小学4年生ごろだったという。

しかし、言葉を知ったからといって、困りごとがすぐ整理されるわけではなかった。

理解者の数で大きく変わる

知っている人が多くいた中学

中学時代、まるさんは地元の学校に通っていた。

まわりには保育園のころからの知り合いも多く、まるさんが吃音でスムーズにコミュニケーションがとれなくても、そのまま受け止めてくれる人が多かったという。

事情を知っている人がまわりにいるだけで、日々の受け止められ方や当事者の過ごしやすさは大きく変わる。

中学時代のまるさんにとって、それは決して小さくない支えだった。

環境が変わった高校

環境が変わったのは、高校に進学してからだ。

受験をして遠い学校に入り、自分の事情を知っている人がいない環境に置かれた。

自己紹介の場面でうまく話せなかったこともあり、自分がどう見られたのかを気にする時間が増えた。

理解者が少なかったこと。からかわれることもあったこと。

高校時代のしんどさとして、まるさんはそうしたことを挙げている。

 「言わずにやり過ごせるなら、それが一番いい」

まるさんは、動画のなかでこう話している。

「自分が吃音ってことをあまり人には言いたくなくて」「言わずにやり過ごせるなら、それが一番いいって思ってるんですよ」

それは単純に隠したいという話ではないのだと思う。説明しなくて済むなら、そのほうがいい。

言わずに過ごせるなら、それがいちばん楽だ。

そう感じてきた時間の長さが、この言葉にはにじんでいる。

親にあまり相談してこなかった

家でも、困りごとを相談することは多くなかったという。

両親は共働きで忙しく、小さいころから自分で何とかする癖がついていた。

そのため、親に相談する発想があまりなかったと話す。

高校時代には外部の当事者団体もあったはずだとしながらも、そのころの自分には、そこへつながる手段がなかったという。

また、まるさんは動画のなかで、高校時代に「スマホが欲しいとも言えなかった」ことにも触れている。

当時はガラケーで過ごしていたため、LINEが使えなかったのは結構痛かったと話している。

自分の外にあるものを見るようになった

大学に入ってから、まるさんはアルバイトを始めた。

最初は「話さなくていい仕事」を選んだが、黙っている時間が長いぶん、かえって声が出にくくなる感覚があったという。

接客のアルバイトで見えた変化

その後、卒業まで続けた喫茶店のアルバイトでは、接客も洗い場も一人でこなす必要があった。

働くなかで、「ずっと話してる方が吃音もよくなるなってことに気づいて」とまるさんは話している。

もちろん、吃音そのものがなくなるという意味ではない。

けれど、黙っていて一言だけを出すより、会話の流れのなかにいたほうが言葉が出やすい。そう感じる場面があったのだろう。

同時に、仕事をするなかで、「まわりの人のことも考えて動く必要があることに気づかされた」など吃音以外のことでも大きな変化があった。

卒業制作と視覚障害のある人との関わり

大学では、卒業制作も大きな転機になった。

1年生のころから、障害をテーマにしたことをやりたいと思っていたという。

ただ、先生からは「あなた自身の困っていることをテーマにしない方がいい」と言われた。

自分のことだと客観的に見られなくなるから、という理由だった。

そこでまるさんは、視覚障害のある人たちにインタビューをしながら進めるプロダクトデザインをテーマに選んだ。

視覚障害のある人たちと面と向かって話すなかで、まるさんは自分の見方が揺らいだと話している。

自分のなかにあった差別心に気づいた

吃音で大変だったぶん、自分は「差別される側」だという意識が強かった。

けれど、視覚障害のある人たちと向き合うなかで、自分のなかにも差別心があることに気づいたという。

自分を「差別される側」という枠でとらえていたが、「そうじゃない」と気づいた時がショックだった。

この経験からくる気づきは大きな発見だったと話している。

休学も就活も切り離せない時間

休学中に参加した海外サマーキャンプでの一コマ

「セルフ・ギャップイヤー」と呼べる1年

デザインの勉強は好きだった一方で、就職活動には人より時間がかかるだろうとも思っていた。

そこでまるさんは、準備のための時間として1年間の休学を選ぶ。

平日に展示を見に行く。気になっていたことを相談しに行く。

興味のあることに、できるだけ手を伸ばしてみる。

まるさんは、その時間を「セルフ・ギャップイヤー」と呼んでいる。

日本では、卒業してすぐ就職する流れが強い。

だからこそ、その1年は一般的な道筋から外れて見えるかもしれない。

けれど、まるさんにとっては立ち止まるための時間ではなく、自分のこれからを考えるための時間だった。

吃音だけを見ていた就職活動からの変化

就職活動そのものは順調ではなかった。

面接では、吃音があることを前置きして話していたものの、なかなか通らなかったという。

ただ、振り返ると、原因は吃音だけではなかったのかもしれないとも話す。

自分がどういう人間で、どういうことができて、社会のなかで何をしたいのか。

そこを整理しきれないまま、吃音だけを問題だと思って就職活動をしていたのではないか、という振り返りだ。

吃音があると、手前の困りごとが大きく見えやすい。

吃音の先にある課題にたどり着く前に、立ち止まってしまうことがある。

まるさんは、そうした場面を支える制度や周囲のサポートがあったらよかったとも話している。

社会に出てから受け取った言葉

自分に合う職場、自分に合わない職場

社会に出てから、まるさんはまず大企業で働き、その後、別の会社へ移った。

最初の職場は「大企業ってこんな感じなんだ」と知る経験にはなったものの、自分には合わなかったという。

次に働いた外資系の職場では、女性が多く、フレンドリーな人も多かった。

そこでは、話し方そのものより、どう人と接しているかを見てくれる人がいた。

まるさんにとって小さくない変化だった。

職場にインターンの人がいた。その人の最後の日にまるさんはある言葉を受けとることになる。

「あなたはいつも親切だった」

その職場で、最後の日にインターンの人へ話しかけに行ったとき、こんな言葉をかけられたという。

「あなたが話すのは苦手なことは気にしてない。あなたはいつも親切だった」

それを聞いた後、トイレで泣いたとまるさんは話す。

話し方ではなく、ふだんのふるまいを見てくれていたこと。

それを言語化して伝えてくれたことが、まるさんにとって大きかったのだと思う。

正社員として働く今

まるさんは、いまは正社員として働いている。けれど以前は、正社員で働くのはもう無理だと思っていた時期もあった。

しかし、いくつかの職場を経験するなかで、「吃音があっても大丈夫なんだな」と思えるようになったという。

吃音があることを前提にしながらも、自分は何をしてきて、何ができて、これから何をしたいのか。

そうした話を、自分の言葉で組み立てられるようになっていった。

対等に接してくれる相手と暮らしていくこと

吃音を伝えたとき、態度が変わらなかった

まるさんは、数年前に国際結婚をし、いまは夫と二人で暮らしている。

夫に吃音のことを伝えたときのことも話している。

何回目かに会ったときに話したところ、「それが君の話し方だから気にしない」と言われたという。

「気にしない」と言う人はほかにもいたかもしれない。

けれど、まるさんにとって大きかったのは、言葉だけではなく、実際にその態度が変わらなかったことだった。

「この人となら生活ができるのかもしれないと思って」 

その感覚は、結婚を考えるうえでも大きかったと話している。

気を使いすぎるのも差別

まるさんは、パートナーとの関係に触れるなかで、こうも話している。

「気を使いすぎるのも差別なんですよね」

見下したり、からかったりすることだけが差別ではない。必要以上に気を使われることで、かえって対等ではなくなることもある。

まるさんにとって大きかったのは、そうした線引きを感じさせない相手と出会えたことだったのだろう。

また、まるさんは動画のなかで、多様性への向き合い方についても触れている。

自分のこれまでの経験を振り返ると、日本の外で暮らした経験がある人の方が、多様性への理解があると感じる場面が多かったという。

吃音のことを考えすぎず、自分の人生を生きる

今住んでいる場所で見つけた景色

親には、程よい距離で見守ってほしい

動画の終盤、まるさんは吃音当事者の親御さんに向けても言葉を残している。

「あんまり介入しすぎず、程よい距離で見守るのがいいんじゃないかな」

それは、親が何もしないほうがいいという意味ではない。

本人が乗り越えていく力を信じることも大切だ、という実感に近いのだと思う。

その時々はつらくても、あとから振り返ると身についた力もあった。そうした思いが、この言葉には込められている。

将来を不安に思いすぎず、自分の「好き」を考える

そして、若い当事者に向けては、こんな言葉を伝えている。

「学校よりも社会の方が優しい、少なくとも私はそう感じたので、そんなに将来不安にならなくても大丈夫だよっていうことを伝えたいです」

それと同時に、まるさんは自分自身のことにも触れる。

吃音をやり過ごすことに、ずいぶんエネルギーを使ってきたこと。

そのぶん、自分が何を好きなのかを考える余白が少なかったこと。最近になって、その「好き」を取り戻そうとしている最中だという。

裁縫や、絵を描くこと。そうしたものを挙げながら、最後にこう言う。

「吃音のことを考えすぎずに、自分の人生を生きることに集中しようってことが言いたいかな」

ご本人コメント

記事・動画をご覧いただきありがとうございます!インタビュイーのまるです。
取材の中で話しそびれたことをこちらで補足します。

私は動画の中で海外良い!日本はちょっと…みたいに話しましたが、海外で吃音差別がないかというと当然そんなことはありません。吃音、ひいては障害を馬鹿にする人はどこにでもいます。そうでなければ『英国王のスピーチ』のような映画も生まれてませんよね。

その一方で、私の経験から、海外の方が困った時に助けてくれる人が多かったと感じています(もちろん日本でもそういう人達はいましたし、彼/彼女らにはとても感謝しています)。仮にうまく話せなくても外国人だからと流してもらえる確率も高いですし、もし日本でどうしようもなく苦しいなら一度外に出てみるというのも手だと思います。

初めて海外で吃りを馬鹿にされた時はそれなりにショックでしたが、今は、世界中で差別されるということは、世界中で連帯できるということでもあると思い、むしろ希望だと感じています。

この季節、進学・就職など節目を前に不安になっている方がいるかもしれませんが、私の話が少しでも参考になれば幸いです!

取材協力:まるさん(2025年10月)

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この記事を書いた人

介護施設で現役の介護福祉士として勤務しながら、Webライター・コンテンツ制作者として活動しています。趣味は読書、散歩、リフティングです。

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