「それ吃音を甘えに使ってるよね?」ヨガインストラクターの先輩から言われた言葉。
言われた時はショックを受け反発の気持ちも芽生えたというWさん。
でも確かに、自分の行動に全部吃音をくっつけるのは違うと気づき、そこから自分と吃音を切り離して考えることができるようになったといいます。
今回は新卒で入社した会社を退職し、新たな道へ進む吃音当事者の方にインタビューをしました。
自己紹介

お名前と年齢を教えてください。
名前(ニックネーム)はわらびもちです。年齢は今22歳です。
趣味や好きなことを教えてください。
漫画やアニメ、カフェ、あとはストレッチや筋トレです。
お仕事は今何かされていますか?
職業はヨガのインストラクターで、社会人1年目。仕事の関係で東北に引っ越してきました。でも仕事を辞めてしまうので、もうすぐ出身県の近くに帰る予定です。
インタビューに参加いただいた経緯は?
学生時代、落ち込んだらYouTubeで吃音を調べて動画を見たりしていたんです。最近、またYouTubeとかで吃音のことを調べるようになって、こんなに前向きに発信されている人が沢山いるとびっくりしました。
今はそこそこ前向きに吃音を捉えられているんですけど、悩んだ時期もあったので、同じ吃音の人にちょっとでも役立ちたい、吃音がその人の全てじゃないと言うことを中心に、何か話せたらと思ってインタビューを受けました。
就職と退職

ヨガのインストラクターで就職を決めた理由は?
決められたことを言うときに吃音が出やすいというのはわかっていたので、就活の面接がすごくやりたくなくて怖かったんです。
準備しているのが当たり前、すらすら話してるのが当たり前で、その先にどういう志望理由があって…そこに行き着くまでがしんどいなと言うか、それで1社しか受けませんでした。それがヨガのインストラクターです。
インストラクターは話す量が多いですが、細かい動作などは自由で。私が好きに言うことを考えたりできるのであれば、この仕事でもやっていけそうだと思って今の仕事についたんです。
どんなことが退職理由につながったのでしょうか?
仕事につけたのは良かったんですが…なんというかこの仕事の内容自体に興味が持てなかったんですよね。
自宅で身体を絞ったりYouTubeを見て筋トレをしたりはするので、興味がない訳ではなかったんですが。入ってみると周りのみんながすごく運動好きだし、中学や高校で全国大会に出場していたりとレベルが違いすぎて、その時点で来るところを間違えたかな?と思いました。
吃音前提で仕事選びをしちゃったのが良くなかったのかなと。
小学生くらいから吃音に悩んでいて、学校生活の中でも吃音があるから、自分が立候補したくても諦めたりすることがすごく多かったんです。仕事選びにもまず話す仕事か話さない仕事か、その分岐点から始まりますし。
就職後に研修が終わって店舗に配属されたんですが、やっぱり『決められたことを言うのが苦手』というのが拭えなくて、細かいことは自分で言い方を変えてもいいんですけど、基本の動きの言うことは決まっているので、その時に言葉に詰まってしまって。
話す機会が多いことも影響があったのでしょうか?
そうですね。仕事内容に興味が持てなかったのに加えて、吃音で言葉に詰まるのを回避して不自然な運動があったり前置きの言葉が多い、という点で仕事をやめることを決めました。
ヨガのインストラクターの仕事は、最初の挨拶から最後の挨拶まで、1時間などの時間がきっちり決まっています。だから、私が言葉に詰まるとその分時間も後ろにおしてしまって…もちろんお客様の時間をいただいているので、時間オーバーするのはレッスンをできる状態でない、と上の方からも判断されてしまいました。
研修の時から困難があったのでしょうか?
研修の時は同期で打ち解けられていて、言葉に詰まってもそこまで恐怖心はなかったんです。でも実際に店舗に配属されると目の前にいるのはお客様なので、優しい方々とはいえお金も時間もいただいていますし、詰まった時にどうしようというのがすごくあって。
今でもあるんですけど、詰まるのを回避するために頭の動きや指の動き(随伴運動)が多いんです。お客様は私の動きと言葉でヨガを進めていくので、そういう動きがあるとよくないよ、と上の人からも言われて。
これからたくさんのレッスンを勉強して習得して、この吃音と向き合うと思うと…しんどいなと。ちょっと仕事に支障が出過ぎていたので。
自分が興味を持ててめちゃくちゃ頑張らなくても出来る仕事なら、そこまで吃音のせいというか、吃音が障害と思わずに済んだと思います。ヨガと吃音の相性がよくなかったのかもしれません。
ヨガ中はリラックスしそうですが、吃音の症状に変化はないですか?
決められたことを言わなきゃいけないと思っている間は、私はヨガに関係なく吃音がでやすいです。
先輩にチェックしてもらうときも、肩とか首がすごく絞められているよと言われたこともあります。
日常生活の方が出ないのかもしれないですが、飲食店の注文などは躊躇します。でも1対1でその場で思いついたことを話すような、このインタビューのような形式だと、ゆったりと話せて詰まりにくいのかなと思います。
日常生活と吃音

注文の時にどんな躊躇がありますか?
お店に行って、レジ横のカウンターなどで注文する時は躊躇します。
メニューを見て指をさせたとしても、結局口に出してはじめて注文が確定するという感じがあるというか。指をさしてこれで、と言っても困った反応をされることがあるので、そのタイミングにぶつかるのが怖くて。
コロナ禍で幸いにもタッチパネルが増えて、むちゃくちゃ恩恵を受けています。多少高くても私はタッチパネルのお店を選ぶことが多いですね。
タッチパネルのお店かどうか、はどうやって調べていますか?
近くのイオンとかだと、店の前を通って、タッチパネルかな?タッチパネルかな?と覗くしかありません(笑)
カフェとかも本当は行きたいんですけど、席に着くまでにカウンターで注文式のところが多くて。もちろん店員さんからしたら私が言葉に詰まったことは、1分後には忘れていると思うんですが、私としては失敗の1つとして捉えてしまうので。
頭では良くないとわかっていますが、調子が悪い時が続くと、カフェに入るのをやめようかなと思ってしまいます。自覚はないですけどフィードバックする癖がついているのかもしれません。これだけ失敗の経験を積み重ねると、良くも悪くも。
フィードバック癖が活かされることもあるんですか?
それもあると思います。悪い経験は失敗と捉えてしまいますが、すらすら言えたな、という日やタイミングは自分にも100点ですし。もうルンルンで、家に帰ってもルンルン気分なので。
でもここ最近そう考えられるようになったと思います。大学生になってからですね。
学生時代と吃音

大学生になってから吃音が楽になったのでしょうか?
中学高校はクラス単位で進んでいくので、最初の本読みとかで言葉に詰まったら、1年間は同じメンバーに「こいつ言葉に詰まるな」と思われている、と感じてしまいます。
でも大学は固定メンバーがいても同じ授業をとっている人が違うので、割と吃音関係なく周囲の人と付き合っていけたので気が楽でした。中高だと1年間の単位だけど、大学は1日とか1コマの単位で人間関係が決まるので、そういう意味で。
大学のほうが大人数の前で喋る機会があんまりなかったと思います。あっても1年に1回とか。
中学とか高校とかは何かしらのスピーキングの機会や試験があったりとか、大勢の前で話すことにそこで苦手意識がすごくついてしまって。
教科書を読むのは今でも苦手です。中学の時は出席番号と日付を組み合わせて当てる先生とかもいたので、予測して「やばい1週間後だ」と思って、その1週間で自分が読むかもしれないページを練習していたりとかもしましたね。
先生に吃音を伝えたり配慮を求めたりしましたか?
高校3年生の時に、初めて担任の先生に吃音がありますと伝えました。
クラス替え後にすぐ、使っていない教室を利用して担任の先生と1対1の面談があって。でも、私の二人くらい前の人から時間の関係で職員室で話すことになったんです。
他の先生に聞かれたくなかったので、手紙にしました。職員室の件がなかったら直接話したかったですが、結果的には文字にも残るのでよかったかなと思っています。
とりあえず、吃音があるということを知ってもらえるだけで自分的には楽なので。
こっちが配慮を求めるのも一方的かと思って、配慮は求めなかったです。
その先生は高1と高2も英語を担当していたので、私が詰まることは知っていたと思います。「1対1だとすごく喋るね」と言われて、その話の流れで、吃音の話に持っていって、詳しいことはここに書きましたと手紙を渡した覚えがあります。
今思えばすごい勇気を振り絞ったなと思います。先生に話したのはそれが初めてです。
なぜ高校3年生のタイミングで伝えたのでしょうか?
初めて担当する先生よりは話しやすかったですし、将来への不安もあったので。私一人で抱え込むのはこれ以上はしんどかったので。知ってもらえると気分が軽くなりますし。
でもその直後くらいにその先生が英語の授業で、私の席の近くの人から当て始めて。配慮をして欲しいとかそこまでではなかったのですが。
当てられるってことは私でも話せるという期待というか、そういうものがあったのかなと前向きに考えました。
伝えてからはその先生と吃音の話は一切しなかったですね。吃音を初めて知ったということをぽろっと言っていたので、知らなかったのだと思います。
視力が悪いから眼鏡をかける、それくらいフラットになっていければ当事者としては嬉しいですね。
友達やご家族には吃音を伝えていましたか?
高1か高2くらいの時に近しい友達には伝えました。
家族は母と兄も吃音があるんですけど、母は私より軽い方というか気にならずに接客業をしています。兄の方が難発と連発が両方あって重くて、就活の時とか苦労していた覚えがあります。
母は軽度なんですが、生まれた時に左利きから右利きになおされたそうです。それが遺伝したのか私と兄も吃音があります。どうなんだろうって感じですけどね。
吃音を自覚したのは小学3年生なんですが、兄は2、3歳から詰まって(どもって)いたらしくて、本当に先天性と言うか、発症が早かったのは兄だけだと思います。
私は兄と年齢が離れていて、子供の時から兄が言葉に詰まっている様子を見ていたので、もしかしたら知らないうちに真似とかをしていたのかもしれません。自分が先天性(発達性)なのかはわからないですね。
家族で吃音の話はしますか?
当たり前すぎてなのか、家族の中で吃音について話したことが一切なくて。
兄の連発の症状が出ているときも、親はあまり吃音について調べたりとかしない人なので、「落ち着いて喋って」「何て喋ったの」というようなことを言うんです。
それに対して兄もふざけたというか誤魔化すような返事をするので、吃音について真剣に話すことはなかったです。タブー視しているわけではなかったですが。
でも、兄に1回だけ「吃音って言葉知ってる?」と聞かれたことがあって、中学2、3年の頃です。
当時は名前程度しか知らなくて「知らない」って答えて、その話はそれっきりで終わりました。
兄の母子手帳には吃音のことや言葉の教室に通ったようなことが書いてあって、後から偶然みつけて知ってびっくりしました。私は何もしなかった気がしますが(笑)
吃音という言葉を知ったのは中学生の時ですか?
そうですね、中学生の時だと思います。そこから調べて、最初は『成人するまでにほとんどの人が治る』と書いてあるのを何かでみて、希望を見出していたんです。それが14歳、あと6年経ったらこれは治るんだと信じていました。
その後、自分が吃音というのに当てはまって、なおかつ治療法が確立していない、その現実を突きつけられてから数年間が苦しかったです。
それまでの病気とかって病院に通って手術とか薬で治るんだなみたいなイメージだったので。
こんなに医学が進歩しているのに吃音はそれがわかっていないんだと思うと、自分の将来が心配というか先が見えない感じがして、知ってから高校ごろまできつかったですね。
学生時代の自分に今思うことは?
学生時代は決められたことを話す機会が多いですし、プレッシャーもあると思います。学生次第さえ乗り越えればっていうとあれですけど、そこだけ越えれば、あとは自分の好きなように生活できますし、ある程度選べますし。自分で回避する方法も身に付きます。
出会った人からすれば多分吃音のことなんて全然わからないというか、その人が帰っちゃえばもう覚えてないですし。
なので自分が吃音のせいでこうしたいのに躊躇する、というようなことがあっても物凄く不安に思う必要はないと思います。
終わってしまえば他人は覚えてないですから、今日は詰まったけどまあいいや、それくらいの気持ちの持ち方で十分だと思います。
今みたいに前向きに捉えるようになったのはいつ頃ですか?
元々は全然前向きではなかったですね。中学2年ぐらいの時に吃音を知って将来の仕事どうしようって思ったんですよね。やっぱり話さない仕事でないといけないって。
でも大学後半くらいになってきたら、決められたことを話さなければ吃音があまり出ないことに気づいて、じゃあ別に話す仕事でもいいかなと思って、ヨガのインストラクターとして就職して。
前向きに考えられるようになったのは、本当に最近ですね。
仕事の時に1番最初の自己紹介で「吃音があってちょっと定型文とかで詰まることがある」と初めて公の場所で言ったんです。
その時はすごく言えたとスッキリしたんですけど、周りが私が吃音というのを知っているからこそ、配慮というか、吃音だから、レッスンで言葉が詰まることも当然だとなってしまって、私がそれに…甘えてというか。
じゃあ別にレッスンもそんなにちゃんと勉強しなくてもいいかな、となってしまっていて。いざ店舗に配属された後、私は吃音だから言葉に詰まっても、声が小さくてもしょうがない、と吃音のせいに全部してしまってたんですよね。
自分と吃音を切り離す

吃音のせいにしていたと思ったきっかけはありますか?
店長や先輩に、「それ吃音を甘えに使ってるよね?」と実際に言われて。
言われた時はやっぱりショックですし、吃音じゃないのになんでそんなことを言えるのかという、反発心みたいなことを思った時期もありました。
でも確かに甘えていたこともありましたし、言い訳に使っていたと思うので。吃音と自分を切り離して考えるべきだと。
吃音と自分を切り離すというのはどういうことでしょうか?
言葉に詰まる自分もいるけど、詰まらない自分もいるというか。
私はことばが詰まる、ではなくて詰まらない自分もいるので。本当に吃音が全てではないですし、私がする行動に全部吃音をくっつけるのはちがうなって、1ヶ月前くらいにようやく自分と吃音をき切り離して考えられたんです。
就職する時とかも話すことは苦手だけど好きだから、あえて話す仕事を選んで吃音を克服したいからやりたいと思って応募したところがあって。
でも治したいからやりたいという動機ではなくて、もっと他に自分の興味があって得意な仕事、吃音関係なく仕事を選べばよかった。
なんでもかんでも吃音に得意苦手とかを結びつけるのは、やめた方がいいと思いました。
結果的には、一番初めに向いていないし興味がなかった仕事を経験したからこそ、見えてきたことかもしれません。その点は吃音を軸に仕事を探した自分を褒めたいですね。
一社目で上手くいかなかったからこそ得られた成長だったのでしょうか?
これまで自分軸で生きていたんですよね。自分勝手と言うか、自分がどうみられているかを常に考えていることも仕事で指摘されて。
それはヨガをしに来るお客様に失礼だし、そんなではリラックスして満足して帰ってもらえないと。
インストラクターの研修の中では、自分の内面や本心に向き合うワークが多かったのがよかったというか、ラッキーだったと思います。
他の人は自分と向き合いすぎて涙を流す人もいたくらいです。
自然体で生きている人が多く、周囲の人の環境もすごくよかったのだと思います。
伝えたいこと&今後

吃音に悩む人に
悩んでいるというのを周りにいうと、「この人はずっと吃音で悩んでいるんだな」って周りから思われているのがわかるので、私も悩み続けなければいけないのか、みたいになるのが嫌だったというか。なので私は今までそんなに「吃音で悩んでます」とは周りには言わなかったです。
周りに言うのもいいですけど、周りがどうこうより、あなたは自分の人生を生きていますし、もっと他のことに悩む時間があっていいですし、せっかく生きてるんですし、吃音以外のことにも目を向けて楽しんで生活してほしいと思います。
私は多分まだ軽い方だと思いますし、症状が重い人からしたらそこまでいけないというか、軽い人の綺麗事だと言われるかもしれません。でも吃音ばかりに囚われない、それに尽きるかなって思っています。私も最近切り離せたので人のことは言えないですが。
本当に吃音ばっかりに、ずっとそのことばかり考えて生活していくのはちょっと辛すぎるので。もっとほかにも世の中は面白いことがいっぱいあると思うので、他のことに目を向けてほしいですね。
今後はどのようなことに興味がありますか?
実はヨガの研修中、FBや報告の時に話の構成や文章がうまいといってもらえることが何度もあったんです。あと小学生の頃宿題で出ていていた日記でも、面白いとっていただけたことがあったり。
書くことが昔から褒められる機会が多くて、好きですし、得意なのかもしれないと思っています。
最近はアニメの脚本を書きはじめています。一度応募したことはあるんですが反応はなく、でも好きなので書き続けたいです。

とても落ち着きがありながら可愛らしい声をされているWさん。話すのが好きというのも納得の楽しいインタビュー時間でした。
前職での経験や今の気持ちを、沢山お話しいただきありがとうございました。
Wさんが書かれた作品の発表を楽しみにしております!