考え方の変化が人生を変えていく。後天性吃音とともに歩んできたそのださん(27歳)が、自身の人生を振り返り語ったインタビュー。
吃音の発症は小学5年生頃。言葉に詰まり声が出なくなるたびに、周囲の理解とのギャップや自身の「完璧主義」によるプレッシャーに苦しみます。しかし、環境の変化や出会いを経て、少しずつ自分自身を受け入れる方法を見つけていきます。
その過程で転機となったのが、平野啓一郎さんの『私とは何か-個人から文人へ』という本の出会いでした。「どんな瞬間の自分も一つの自分である」という考え方が、吃音に対する不安を軽くし、自分を否定せずに生きる力に繋がっていったのかもしれません。
現在、そのださんは京都でWEB系企業の仕事をしながら、障害福祉にも関わる活動をされています。吃音とともに歩んできたからこそ得られた視点や経験を、今後同じ悩みを抱える人々に伝えていきたい。その体験談には、吃音や悩みに向き合うすべての人へのヒントが詰まっています。
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吃音と学生時代

小学生の頃
吃音は後天性のもので、自覚したのは症状の出始めと同じ小学5年生くらい。
運動も勉強も女の子からモテる事も何でも、1番じゃなければいけないと考える“完璧主義”の子どもだった。
ある日授業中に先生から注意された。それが原因かどうかははっきりしないが、その頃から授業で発表するときに言葉が出しづらいと感じるようになり、難発(ブロック)の状態が続いた。
吃音の症状についての悩みを親に相談し、担任も交えて3者面談の場を設けてもらった。
しかし親も担任もそれを重くは受け止めておらず、自分の気持ちと周囲の認識のギャップに苦しんだ。
中学生の頃
「吃音」という言葉を知ったのは中学2年の時。
自分と同じ症状を持った子が、「吃音」という言葉を使って自分の症状について話していた事がきっかけ。
中学2~3年の始めの頃は症状が強く出ていたが、中学3年の中頃以降はあまり出なくなった。
勉強や部活で考えることが多く“頭の中のリソースが小さくなってた”せいかもしれないとそのださんは分析する。
高校生の頃
中学3年の時に症状が落ち着いて以降、高校2年生までは症状が落ち着いており、“あ、これ治ったわ”と思っていた。
高校3年の時に部活の副部長になり、みんなの前で話す必要が出てきた。話せるかという不安や緊張を感じ、それに伴い症状が強くなっていった。
授業の音読の際には全く言葉が出なくなった。
3年生になって急に吃音の症状が出たことで、周りの友達からは不思議がられることが増えた。
“自分がしてほしい配慮って、やっぱり自分が言わないとわからない”
休み時間に授業の先生に、「最近うまく喋れないので授業ではあまりあてないで欲しい」と言いに行っていた。
してほしい配慮を伝える事は義務ではないが、それで自分が救われる部分はあると語る。
吃音と就職

大学生の頃は症状は落ち着いていたが、就活が始まるタイミングで固定された言葉が言えないようになっていった。
話しやすくなるように言葉を言い換える工夫をしていたが、就活で自己紹介する時は言い換えをすると不自然になってしまう。面接で思うように言えなかった経験から、次も言えないのでは…という不安が大きくなっていった。
オープン就労
就活の初めの頃は「どんなにどもりながらでもめちゃくちゃ時間をかければ伝えたいことは伝えられた」が、最後の方はどもることでそれが伝えられなくなっていった。
“あ、これ吃音って言った方がいいな”
そう感じ、履歴書には「吃音によってうまく話せない事があるので待ってもらうと助かる」という内容を記入するようにした。
そのことで面接官が配慮をしてくれるようになったが、言いたいことは30~40%しか伝わらず、うまくいかなかった。
“知ってもらわないとどうにもならないなって思ったからオープンにできてるんです”
完璧主義ということもあり、それまでは吃音があることを周りに知られたくなかった。
一種の障がいを持っていることを自分で認めたくなかった。
そんな思いから周りには吃音の事を伝えられず苦しんでいた。
しかし、伝えないとどうにもならないと感じ、言うべき相手には言うようになった。
職種選び
経理や財務の仕事を探していたそのださん。
「経理とか財務ってあんまり人と話す機会がないだろうな」という思いから選んだ職種だが、その言葉はネガティブな思いから出ているだけではない。
働くうえで症状が強く出たら活躍できないし、楽しく働きたいという前向きな思いも含まれている。
その結果、東京の会社で経理を3年半経験し、現在は京都の会社で経理も含め経営に近いポジションで働いている。
仕事で困る事
新卒の頃は電話に出なければならなかった。難発が多い頃だったので喋れないだろうと思っていたが、「やらなきゃ」と思っていたらなぜか喋れた。
その後、辞める前の半年くらいは仕事に支障が出るくらい症状が出ていたので、吃音の事を直属の上司に打ち明けた。
優しい上司はあまり重く受け止めていない様子で、「気にしなくていいよ」と言ってくれたが、自分の悩みのレベルと周りの受け止め方のギャップに苦しさを感じた。
また、仕事でどのように配慮してもらうかという事への正解が見つけられず、してほしい配慮を伝えられなかった。悶々と悩んでいた時期である。
周りとの受け止め方のギャップと葛藤
自分は悩んでいるのに周りからはそう思われていないときに、周りに合わせなきゃいけないと思っていた。
吃音の事象自体への悩みというよりは、周りが重く受け止めていないのならそういう自分でなければならない、周りの人の気持ちをわずらわせたくないという気持ちが強かった。
最近は結構ラフに考えられるようになったというそのださん。
“起こっていることをシンプルに考えられるようになった”
“いろんな事情とかをあんまり深く気にせずに行動できるようになったところはちょっと生きやすくなったかなと思います”
吃音の捉え方

退職後は吃音の受け止め方やキャリアについて考える機会として、働かない期間を作った。
期間中に行った事は以下の3つ
①会計の勉強
②吃音当事者が集まる場で他の人の話を聞く
③大学の教授(吃音当事者)と話をする
その後京都の会社に就職し、キャリアブレイクしていた頃の考えを意識して働いたことで、吃音の症状が治まった。
文人主義という考え方
【本の紹介『私とは何かー個人から文人へ 平野啓一郎』】
この本で示されている考え方との出会いによって救われたというそのださん。
ここでは、一般的な個人主義という考え方に対して、文人主義という考え方が唱えられている。
<個人主義>
「核となる本当の自分」がいるという考え方。この考え方だと、緊張する場面でうまくいかなかった場合、「本当の自分を出せなかった」と感じてしまう。
<文人主義>
核となる自分がいるわけではなく、どんな時の自分も分け隔て無い1人の自分という考え方。
以前のそのださんは吃音で話せなかった事を全否定する気持ちになっていた。
しかし文人主義という考え方を知ったことで「あの場面の自分はうまく話せなかったけどこういう環境なら話せる自分もいる」と思えるようになった。
そのおかげで不安に思う事が少なくなり、症状も少なくなっていった。
【吃音で嬉しかった経験】
吃音があるからできる考え方がある…と、吃音に対する利点を感じられるようになったのはここ2年間くらいだとそのださんは語る。
吃音の当事者であるからその世界を知ることができた。
また、福祉領域に興味を持ち、その世界を学び寄与しようという気持ちを持つことができた。
吃音を持っていて良かったとは正直言えないが、それが無いと今の自分は無かったし、吃音を持っているからこそ得た物は多いと思っている。
【吃音で諦めたこと】
人の前に立ったりみんなを引っ張ったりしていく事が好きだったが、話せない事で周りに迷惑をかけるからやめておこうと思った事は多かった。
周りの人に恵まれてきた自分でもかなり選択肢をつぶしてきたので、そうでない吃音当事者はすごく行き詰まることが多いのではないかと思う。
【今後実現したい事】
1人の吃音当事者としての自分の事例を、困っている人に伝えられたら良いと思う。
そう話すそのださんは、以前は自分の体験を発信しない方がいいのではないかと考えていた。その事が、他の人にとって良くない影響となってしまう事もあるのではないかと考えていたからである。
しかし、福祉や社会課題に対してのアプローチの仕方に正解はないという話を聞いてからは、自分の事例が、困っている人が生き方を選ぶ時の選択肢の一つとして生かされたらいいと思うようになった。
吃音と恋愛
2年前に結婚した妻には、最初出会って3~4カ月は吃音の事は伝えておらず、言葉の出しづらさが出てきたタイミングでカミングアウトした。
改まって伝えたのではなく、普段の生活の中で迷いながらも打ち明けたという感じ。
彼女は「若干そうかもな」とは思っていたが、それほど気にしないという反応だった。
その半年後、そのださんに吃音の症状が出た際に彼女が笑った。
それは、そのださんに“吃音当事者”というフィルターをかけずに接する為に彼女が考えて取った行動である。
実際そのださん本人にとってそれはしてほしくない反応だったし、他の吃音当事者に対してもしない方がいいと伝えた。
しかしそのださんは彼女のその行動を嬉しく感じた。
それは、その行動が適切だったかどうかということではなく、彼女が自分なりにどのように接すれば良いのかを真剣に考えてくれたからである。
吃音と周囲の反応

指さしやジェスチャーで伝えた時に、言葉で伝えた時と変わらない反応をしてくれたら嬉しい。
周りと違う何かをするのは勇気がいる事。
でも、伝え方にはいろんな選択肢がある事を知り(言い換えやジェスチャーなど)、それらができるという事を意識するのが大事。
話し言葉以外で伝えたとき、相手は少し戸惑うこともあるが言いたいことは伝わるので問題ない。
自分が思っていた反応が返ってこなかった時、あまりネガティブに捉えすぎない方が良いと思う。
今思うこと
【吃音について 過去と今の考え方】
“事実じゃないところはあんまりイメージしすぎないっていうところも大事”
どもっているときに、周りが「早く言え」と思っていると勘違いしてしまう。
そんな周囲との感覚のズレがあるせいで不安になってしまうとそのださんは語る。
特に予期不安が症状に影響してしまう人にとっては、イメージしすぎたり考え込んだりしないことがとても大事。
また喋る等、アウトプットすることで自分の考えを確認する事も大事だと思う。
【環境の変化】
長野、東京、京都と暮らす環境が変わってきた。
今住んでいる京都は自分に合った環境だと感じている。
今悩んでいる当事者の方へ伝えたい事
“周りの人への求めを発信していくってことはすごい大事かなと思ってます”
小学生から高校生の間はクラスの中がこの世のすべてだと思っていた。また、その中で自分が合理的配慮を求めていてもそれが得られない状況はすごくある。
しかし本人が求める配慮というのはその時々で違う。
“必要であるならその求めを発信することはその人の役割だと思う”
“配慮してくれない周りの人をネガティブに思うのは自分の為にもならない”
自分から求める配慮を発信するというのは勇気がいるしエネルギーを使う事だが、それでもそうしていく事が大事だとそのださんは語る。
また、その環境だけでどうにかしようとするのは難しいとも思う。
“もしそこでできなかったとしたら別のところに行けばいいと思う”
吃音に限らず、「大変な思いをしてきたり頑張ってきた人=正義」というのは違うと思っている。
謙虚さは必要であるし、それを受け入れるからこそ自分以外のものを素直に受け入れることができる。
“周りへのリスペクトじゃないですけど、そういった気持ちはずっと僕自身持ち続けたいなと思ってます”
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