「辛い時に音楽で笑えた」吃音と共に生きるラッパーKarrceさんの福祉×音楽の挑戦

音楽ユニット、コムカイのボーカルとして活動しているKarrce(カーシー)さん。

ヒップホップ音楽を通じて、吃音当事者としてのありのままの自分を表現しています。

吃音がありながらも前向きに過ごすそのパワーは、一体どこから生まれてくるのでしょうか?その秘密を探るべく、カーシーさんご本人にお話を聞いてみました。

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目次

子どもの頃は喋るのが苦手だった

幼少期にストレスから吃音を発症

吃音の症状があったのは、幼稚園の年中の頃から。周りの子より少し身長が高かったカーシーさんは、幼稚園で先生からも頼りにされることが多く、行事の時などに、自分だけが荷物を運ぶのを手伝わされることがあったそうだ。

そのことが自分にとってストレスになってしまったのか、失語症になってしまい、吃音の症状も出るようになった。

上手く喋れないことを理解してもらえない苦しみ

今でこそ頑張って喋れるようになったが、幼稚園から中学校までは吃音の症状にかなり悩まされたとのことだ。まず、吃音について周りに理解されづらいという苦しみがあった。

“小学生とかでは分かんないですよね。子どもなので。吃音の症状が出た時に、「あれ?どうしたんやろ?」と周りがざわつくこともありました。”

特に、音読をしないといけない場面が辛かったようだ。英語の授業で、グループで英文を読まなければいけない時、吃音の症状が出て詰まることがあった。

“「海斗(カーシーさん)大変そうやのに、なんで考慮したらへんのや(どうして考慮してあげないの)」って、友達が泣いてくれることもありました。田舎の子だから、みんな純粋なんです。”

音楽が自分を変えてくれた

夢中になれるもの

小学5年生の頃、カーシーさんは学校を休みがちになってしまい、落ち込んだ毎日を過ごしていた。

そんなある日、親御さんが運転する車の中で流れていたラジオから、湘南乃風の『純恋歌』が流れてきた。それを聴いたカーシーさんは、レゲエやヒップホップといったブラックミュージックに夢中になる。

“そこが僕にとっての、一つの分岐点です。壁を壊せた。”

中学卒業後は通信制高校に進学。高校では、精神疾患や様々な病気を抱える人と出会い、どこか痛みを抱えるもの同士、フランクに付き合うことができた。

高校では軽音楽部に所属し、バンド活動に熱心に取り組んだ。担当の楽器はベース。

一生懸命取り組んだおかげでみるみる上達し、文化祭では全てのバンドのサポートメンバーになったこともある。ひと夏で27曲もの曲を覚えなければならず、練習も連日深夜まで及んだが、とてもやりがいを感じることができた。

いつしかカーシーさんにとって、音楽は生きがいとなっていたようだ。

歌で吃音当事者である自分を表現

高校卒業後は短大に進学し、バンド活動を続けていた。

2回生の夏、卒業して就職をする前に、記念として一人でライブに出てみることを思いつき、「とっておきの音楽祭inさかい」に出演する。そこで初めて、吃音についての曲を書いてみることにしたのだ。

“ヒップホップはリアルな自分をさらけ出す音楽なんです。”

ヒップホップを通じて、人々に吃音のリアルを伝えたい。そんな思いを持ってカーシーさんは動き出した。

この時に作った曲が、『another』。今でもコムカイで歌い続けている思い入れの深い曲だ。

カーシーさんの熱い思いが届いたのか、イベントに来ていたメディア関係の方からも声をかけてもらった。

“「君は絶対やめたらいかん。絶対音楽をやるべきや、絶対何かできるから」って言ってもらえて。「できるんや、自分」と自信になりました。”

カーシーさんは、働きながらも大好きな音楽を続けていくことにした。現在は、「泉州Trigger(トリガー)フェス」など、福祉系の音楽イベントの運営にも携わるなど、活動の幅を広げている。

吃音当事者として働くということ

カーシーさんは、普段は障がいをもつ方々の就労支援をする法人で、職員として働いている。吃音について、少しでも理解が得られそうな職場がいいなと思って今の職場を選んだ。

“入る時はそんなことを考えていたけれど、今となっては全然何も気にしてないです。”

仕事中、電話対応の時などに吃音の症状が出ることもあるが、自分なりになんとか頑張って対応している。

他の事業所との会議もあるが、先方に前もって吃音者であることを伝えれば、相手も理解し、配慮をしてもらえているとのこと。

他者とのコミュニケーションを取る際は、吃音者であることを臆せず伝えることが大事だと、カーシーさんは思っている。

今は吃音があって良かったと思えている

吃音は自分の武器

吃音当事者であることをポジティブに捉え、ありのままの自分をさらけ出しているカーシーさん。だからこそ、勤務先の就労支援の場でも、利用者さんから信頼してもらえていると感じることもあるそうだ。

“他の職員さんには言わないようなことも、僕には話してくれることがあるんです。嬉しいですよね。こういう時、吃音で良かったって思います。”

カーシーさんは、吃音をハンデだとは思っていない。吃音を武器にして、ポジティブに生きるのが彼のスタンスだ。

活動の真ん中にあるのは「福祉」

普段のお仕事、コムカイとしての活動、音楽イベントの運営と多方面に活動するカーシーさん。

“いろいろやっていますが、全部「福祉」に繋がっているんです。”

聞けば、コムカイのもう一人のメンバーであるkom(コム)さんも、福祉のお仕事をされているとのこと。「福祉」はカーシーさんたちの音楽活動にとって、重要なキーワードのようだ。

大きな夢

カーシーさんの今の夢は、音楽で稼げるようになること。副業でもいいので、音楽をずっと続けていきたいと語る。

“いつかはフェスに出たいです。サマーソニックやフジロックに出られたら、最高ですよね。僕みたいなやつでも音楽ができるんだってことを、多くの人に見てもらいたいです。”

吃音について伝えたいこと

吃音当事者の方へ

“吃音があることは大変だし、人前に出たくないという人も多いと思います。でも僕は、吃音を自分の武器にしてほしいです。吃音ならではの活躍の仕方、輝ける場所があると思います。自分を持って生きてほしいです。”

吃音当事者の方に出会ったら

“吃音の人に出会ったら、まず、穏やかに待ってあげてほしいです。それだけで負担は軽くなるはずです。”

“吃音があったとしても、その人が挑戦できる環境を作ってあげることが大事かなと思います。僕もたくさん挑戦してきて、そのことが自信になったから。”

カーシーさんの未来はまだまだ無限に広がっている。そんな熱い思いが伝わってくるお話でした。

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この記事を書いた人

口下手だけど、書くことは好き。文章で人の心を動かしたい。エモーショナルなライターを目指しています。愛読書は子どもの頃から『赤毛のアン』。アンのように日々の小さな幸せを見つけて、書き続けていきたいです。

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