「吃音はどうしてもネガティブなものです」ありのままに受け止める女性の想いとは

吃音当事者インタビュー_ひとみさん

本とカフェが好きで現在はカフェに勤めるひとみさん(29歳)に、ご自身の吃音のことを尋ねたインタビュー。

彼女の子ども時代から今にいたるまでの出来事や思いについてをお話して頂きました。

YouTube動画はこちら

目次

学生時代と吃音

一番しんどかったのは高校時代

小学校1年生の時、友達に「またね」と言う時にどもったのが吃音の最初の記憶だと語るひとみさん。

心が苦しくなったのは周りの目が気になりはじめた中学・高校の頃だった。

 “高校の時が一番しんどかったかもしれない”

英語の授業で順番に英文の音読をする際自分だけ抜かされてしまったこと、自身の吃音について話したいと思った人がいたが、説明の時点で「めちゃめちゃどもって」しまったこと・・・。

そんな経験から高校生の頃は話すのを放棄していた。

環境と自分の意識の変化

 “どもる時、本当に苦しい時って喉を心臓が塞ぐ感覚がある”

そんな彼女の吃音の悩みが、大学生になって少し軽くなった。それはなぜか。

理由①

大学では毎日同じ教室に入らなくても良い環境になった。その自由な雰囲気により、症状は変わらなかったが悩みは軽くなった。

 “少し視界がひらけて、吃音だけに塞がれなくなった感覚”

理由②

大学でできた友達は、自分がどもって落ち込んでしまった時に「ちゃんと聞いてるから最後までしゃべり」と言ってくれた。

信頼できる友人と出会えたことがひとみさんの気持ちをほぐした。

理由③

大学の授業で、自分の意識を変える出来事が起きた。

発表でどもってしまって失敗したときの事。ただただ失敗してしまったという思いを抱えていたひとみさんの元に先生がやってきて、「自分の発表の振り返りだけじゃなくて他の人の発表もきけたらよかったね」と言いに来てくれた。

“自分が発表によってどもる場だけじゃないってことに意識を変えることができた”

“自分の喋りだけに集中せずにすむようになった”

更に他の人の発表を自ら、「聞きたい」と思うようにしたことも、気持ちが軽くなった理由のひとつであった。

環境の変化、人との出会い、壁にぶつかったときにもらった一言、更にそこから自分で意識を変えていこうという思いを持って取り組んだことが、ひとみさんの心を軽くすることにつながっていった。

また、現在働いているカフェでオーダーを取ろうとして言葉が出てこない時は、その最初の一文字を発音せずに話す等して、会話がつながるように工夫して対処している。

本は心に寄り添ってくれる存在

“自分が吃音で嬉しかった経験は、パッとは言えない”
“ちゃんと苦しかったし、今でも苦しい”

図書館にこもらざるを得なかった経験の中でたくさんの本と出合うことができた。

本は困ったときに助けてくれる存在であり、気持ちを楽にしてくれるものである。

自分にとって吃音とは

吃音を知ったのは高校生の頃

高校2年生の時に祖母から「ひとみちゃんはちょっと吃音があるね」と言われて初めて吃音という言葉を知った。

吃音について自ら調べようと思い始めたのは、気持ちが少し楽になった大学生の頃。

“話そう、話したい”

カミングアウトしようかどうしようかと思い始めたのもその頃だった。

カミングアウトは近しい人に

「吃音」の手話を説明するひとみさん。ろう者の方と関わる職場にいた経験から手話を使えるため、勉強会で教えることもしている。

会話の為のサポートは「ありがとうお願いします」と素直に受け入れている。

相手が会話しようとしてくれているのは嬉しい。

ゆっくり聞いてもらうことに後ろめたさはあるが、これがコミュニケーションなんだろうなと話すひとみさん。

意思疎通ができない事はない。

“知ってほしいと思う人には話していいと思います”

近しい人には「吃音」という言葉と共に自分の症状を伝えているが、あまりすすんでは言わない。

吃音はどうしてもネガティブなもの

“吃音は私にとってどうしてもネガティブなものです”
“吃音が心の底から良かったとは思えない”

そう話すひとみさんだが、同時に

“ずっとそばにあるもの、だから嫌いにはなりたくない”

とも感じている。

吃音と自分を切り離すことで、以前は恐ろしい敵であった吃音を、今は少し近しい存在に感じるようになった。このちょっと困ったやつを、「しゃあないな」と思える時もあると苦笑しながら語る。

また吃音治療に対しては、自分の為になるものだし吃音が軽くなるのが一番だと思いつつも、反発したい気持ちも感じている。自分と一緒に生まれてきた存在を消すことは自分の一部を削ってしまう感覚になるのかもしれない。「意地だね」と言ってひとみさんは笑う。

当事者会で気付けたこと

初めて当事者会に参加したときは人の顔を見ることができず、記憶にあるのは地面の砂利だけ。

最初は緊張していた彼女だが、次第に自分だけでは得られなかった気付きを得ていく。

“身体がしんどいということに長い間気付けなかった”

そう語るひとみさんは、どもることで体力が切れて疲れていた事に気付かず、しんどさは自分の精神の弱さが原因だと思っていた。

「自分だめだな」と思い、自分を肯定できなかった。

しかし当事者会の中で、苦しい理由を「体力が…」と言語化してくれた人の言葉に「それもあるよね!」と気付くことができた。

同じ経験でも人によって認識が変わる。

一人では出会えなかった気付きを他の人との交流の中で得ることができた。

今思うこと

“吃音の為に本当に行き止まりになることはないんだと思います、きっと”

本州の最北端である青森に行った彼女は自分にしか見られない景色を見ることができたと話す。

ただ、しんどい時は吃音が視界のすべてを塞ぐこともある。

“その時はその時でしょうがないと思う。それが精一杯”

しんどいときはしんどい。ポジティブにならなくてもいいし無理やり前向きに考えようとは誰にも言いたくない。

常に吃音を倒さないと突破できないという感覚でいたが、退路を知った。

一旦下がることもできるし、他の道を選ぶこともできるようになった。

“逃げていい”

試行錯誤の中で吃音との向き合い方を見つけている彼女の、思いがこもった言葉である。

昔の自分に言いたい事

“悩んだままで大丈夫”

全然自分を失ってなかったんだよと言ってあげたいと話すひとみさん。

そして、「もう悩まんでいいと思う」と笑う。

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この記事を書いた人

福祉施設に勤める田舎暮らしのアラフォー。犬と鳥とワニが好き。

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